夏猫の散歩道

散歩写真とか閑文字とか

荒野を夢見たことはありますか?

耕作地を大きくカーブした道の向こうには、

 そこにはただただ「コウヤ」が広がっているようでした。それは西部劇で見るような広大にして荒涼とした空間ではありませんでしたが、荒野にして広野と呼ぶには十分に思えます。

 

 どうやら昔は田畑だったのではあるまいか?
と、私は独りごちました。タバコを吸うことはありませんが、タバコをふかしたい気分に襲われます。もちろん気分でもふかしただけで、肺には煙を入れないチキンです。

 

 荒野を前にして味わう、この孤独感がたまらないのかもしれません。私は寂しがりなので本物の独りぼっちはゴメンなのですが、色々な気分を疑似体験してみるのは、映画や小説の中に入り込んでしまったような高揚感に襲われて、それはそれで好きなのです。

 

 

荒野を夢見るとは

 そこは恐らく、打ち捨てられた耕作地だったのでしょう。
 大地は生きていたとしても、そこに結実させる人はもういない土地が私の眼前には広がっているのでした。

 

 もしかすると数年後には、自然を侵食する漆黒のソーラーパネルが怨嗟のように増殖しているかもしれませんので、今だけの荒野なのかもしれません。

 

 私が荒野を夢見るのは、そこが人類の叡智の先端だと夢想しているからです。その先は人外の土地なのです(と夢想しておきます)。もちろんそれは私の脳内のみに存在する荒野観なのですが、それがある意味私にとってのロマンなのでした。
 そしてここが今、人類と人外の境界だとして、その先が以前は耕作地だったとしたならば、そこはある意味廃墟です。人間の創造物が自然に戻る工程。荒野。私はそこに惹かれているのかもしれません。

 

 

 

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